偏屈オブザデッド

言葉遊びや鞠投げやその他の悪事について

理想的な死に方

留学生の親友がこの前帰国してしまい心が荒んでいて、そのあとすぐに仲良しだった祖母が老衰で急に亡くなってしまった。

祖母に関してはここ最近はもうほとんど話すことができなくなっており、施設に行った時に家族の顔を見てニコッと笑うことしかコミュニケーションが取れていなかったとはいえ、実家の近くの施設にいて、いつでも会うことのできた人が亡くなることはとても寂しい。長生きして家族に愛され、死因も老衰な上、家族に囲まれる中眠るように亡くなった祖母の死に方は、理想的な死に方であろう。だから、あまり悲しまないようにしたし、そこまで悲しくなかった。でもやっぱり、葬儀の後いとこの住む祖母の家に行ったとき初めて悲しくなって涙が出た。いつも居た人が、もう居ない。

理想的な死に方とはいえ、寂しい。

 

そんなこんなで二月はずっと忙しかった。友達の帰国後は寂しい!寂しい!と言いまくっていた。あの子と食べたお菓子だ…などと思い出しながら帰国する前日に2人で食べた菓子の空箱を眺めたりして。だがそう感傷に浸ってるまもなく、実家から東京に戻りいつもの大学の人に会ってたら吹っ飛んでしまった。

 

今日は何ひとつ予定のない一日だった。こんなのは久しぶりだ。好きな服を着て好きな化粧をして、図書館に行き好きな本を読んで過ごした。ものすごく楽しかった。好きな本というのも半ば課題のようなものなので、読み終える期限が決まっていた。タラタラ読んでいては間に合わないため一日中読んでいた、こんな感じで強制的かつ好きなことをやる状況に陥ってしまえば、何か別のものに追われて、寂しさに浸っている暇は無くなってしまう