ブッダの言葉に共感する自分に引いてる
先日友達と本屋に行ったところ
悩みがスーッと楽になるブッダの言葉・子供向け
なる本が置いてあった。子供向けなため容易に訳してあらとのことだ。
悩みがスーッと楽になる なんて書いてある本、子供買うか!?と思い小馬鹿にしつつもパラパラと本をめくってみると、
他人と意見が違うのは当たり前(違いを認めよう!)
仕返しをしたら悪いので連鎖が収まらない!(仕返しをしてもまたやり返されることの繰り返しだからやめようね!)
寂しいときは、1人でいる時間も大事(考え詰めてみたり、1人でしかできないことをしよう!)
などということが書いてあった。
まあ、それができたら誰も困らねえよって感じなのだが、妙にあーなるほどなーと思ってしまう自分がいた。
留学生の友人に、わたしが嫌がらせをされたことを相談した際には、こういう言い回しではないものの
「嫌がらせをされて嫌な気分になっていたら嫌がらせをしてきた人の思い通りなので、出来るだけ考えずニコニコ楽しそうに振舞っていなさい、それが一番の復讐だ」なんてことを言われたものだった。ちょっとこの子に言われたことを連想してしまった。ブッダの考え(?)身につけててすげえ!とおもうけど、熱心なカトリック教徒だった友人からしたら、これらってキリストの教えとかの考えてから身についたってところなんだろう。どの神様でも言っていることは似てるようなのだろう
また、その後ちょっとコーナーを移動してみて、〝女性のあれこれ〟の本のコーナーに行ってみた。こじらせ女子や、セックスレスの本など卑屈系エッセイの巣窟だ。実はこのあたりの本、わたしは大好きで、よく読んだいたしいろいろ立ち読みして漁るのも大好きだった。
この辺りの本を読んでは、いつもいつも、ああ、そうそう!!!そうなんだよ!!!!と共感してばかりだった。
しかしこういった本は最近はあまり読んでいなかった。
またちょっと読んでみようか、とパラパラ立ち読みをはじめてみた。おもに恋愛関係がうまくいかないとか異性に限らず女同士の人間関係がうまくいかないとか、そういった系の本を読んでみたりした。一切共感できなかった。
人間、こんなもんですよね。みたいに文書が締められていたとしても、そうじゃない人もいるじゃん?とか、反論とまではいかない共感できない気持ちが噴き出てしまった。
こうやって、また悩んでしまう…みたいな文書に出くわした時も、いやいやいや、こうやって悩んでるから気分転換うまくできなくてどよどよした気持ちが収まらないんだって〜〜とツッコミ入れながら読んでしまった。
うーん、今まで卑屈だったり悪口言いまくったりしてるのを心地よく感じていた自分だったが、まさか女性向け卑屈系の本のコーナーよりも、子供向けブッダの言葉に共感してしまったとは。人間変わったものだ。こんな自分に引いてる。
正直、変わるのはちょっと寂しい。今まで読み親きみ共感していた作家の本に一切の共感ができなくなってしまったのだから。お気に入りのものに関心がなくなってしまった、寂しさがある。
でも、今回の変化はそんなに止めるべきものではない、悪いものではない気がするものの、やっぱり、皮肉だったら屁理屈言ってたりする時って我ながらキラキラしてたし、おもしろいね、ともよく言われていたから、そんな自分への愛着をちょっと手放せないままでいる。